リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「そのまま動けなくて、しばらく、そこでぼぉーっとしてて。誰かと肩がぶつかって、やっと我に返って。窓に映る自分を見て。情けないやら、悔しいやら、腹立つやら。訳わかんなくなって、笑えてきた。なにしてんだ、俺って」

くすりと自嘲しているような笑い声がして、明子は腕を伸ばして、その背中に静かに手を当てた。
泣いている。
そんな気がして、その背に触れたくなった。
牧野の肩が、一瞬、びくりと跳ねて、それから、深呼吸を一つ、したのが判った。
そうやって、驚いた自分を、落ち着かせたようだった。

「だから、少しずつ、いろんなことを、昔に戻していった。もともと、それなりに自炊はしてたし、家事もそこそこやっていたけど、あれって、一度丸投げして人にやってもらっちまうようになると、ダメな。車に乗るようになっちまうと、歩かなくなるのと一緒だな。なかなか、自分でやろうって気になれねえのな。でも、ちゃんとした、自分の暮らしってやつを取り戻さないと、いつまでも前に進めねえって思ったからさ。まあ、なんとか、がんばった」

昼の弁当くらいは、自分で作れるとこまで戻った。
あっさりとした声で、茶化すような言葉を続ける牧野に「サバ缶丸ごと持参は、作ったうちに入りませんよ」と、明子も努めて明るい声で茶々を入れた。
まあなと、牧野は明子の言葉に楽しそうに肩を揺らして笑った。
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