リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
牧野の分の焼きうどんを盛った皿には、軽くラップをかけて、調理台にそのまま置いた。
自分の分の焼きうどんとスープを、リビングに運ぶ。

食べる前、念のためにもう一度、牧野の様子を見に行った。
起きてくれたほうが明子にはありがたいはずなのだが、なぜか、その足音を忍ばせていた。
寝ている牧野を起こすなと、長年、職場の上司や同僚に刷り込まれてきたせいだろう。
そんな自分に気づいて、苦笑していた。

野菜を切っていた最中に、玄関の方から、なにか物音がしたような気がした。
もしも、起きてくれそうな様子なら、なんとか起こしてご飯を食べさせてしまおうと思ったけれど、泥のようにという表現がぴったりな様子で、牧野はぐっすりと眠ったままだった。
ただし、窮屈そうに曲げたままだった足が、真っ直ぐ伸ばせる位置に、体は動いていた。
わざわざ一度起きて、クッションなどを動かして、またここで寝直したようだ。


(もう。起きたなら、上がってくればよかったのに)
(なんで、また、ここで寝直しちゃうの?)


問答無用で帰らなかったところを見ると、よほど眠いに違いなかった。
この頑固者メと、明子はまたその鼻を軽く抓んだ。

まだまだ、その寝息が深い。
けれど、朝に比べれば随分とよくなってきたその顔色に、少しだけ安心した。
頬にも赤みが戻ってきているようだった。

眠るその顔をしばらく見つめて、タオルケットを静かにかけ直した。
起きてもらいたいのに、起こさないようにとまた足音を忍ばせて、明子はリビングへと戻った。


テレビを点けようかとリモコンに手を伸ばして、やめた。

カーテンの向こうに広がる空は、晴れていた。
昨夜の雨が嘘のような、青空だった。

窓を開ける。
外の音が、部屋の中に流れ込んでくる。
行きかう車の音。
人の声。
いろんな音が、部屋の中に流れてきた。

二人で沈んでいた音のない静かな世界が、少しずつ、日常に戻っていく。


暖かいスープを一口。


(ちょっと、薄かったかな?)


そんなことを思いながら、たっぷりのもやしを口に放り込む。



誰かのための食事を作るのは、久しぶりのことだった。
それは、嬉しくて楽しい。

忘れていたそんな気持ちが、胸いっぱいに広がった。
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