リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「一度。キミに逃げられているから。だから、今度は慎重なんだ」

牧野。
額が付きそうなほど、顔を近づけたまま、熱い吐息に乗せた、静かな声のその言葉に、明子の瞳が揺らぎ出す。
その名に、心が捕らわれていく。

「我慢も限界で、いきなり、こんなふうに襲ってくるかもしれないよ。そのとき、手酷く拒まれて、またキミに逃げられたら、牧野、今度こそ壊れるな」

覗きこんだその瞳は、暗い瞳だった。
雨に包まれた闇よりも暗い、瞳だった。

「キスぐらい、逃げないで、余裕でしてやってほしいな」

だから、その予行練習。ね。牧野とキスするときの、練習。
また、優しく甘い雰囲気が島野から漂う。
体を重ねた部分から、体温が溶け合っていく。
牧野の名を囁かれるたびに、抗う力が抜けてくる。
甘くとろりとした雰囲気に、飲まれて、流されて。
近づいてくるその唇に、応えてしまいそうになった瞬間。
遠くから聞こえた車のクラクションに、明子は我に返り、島野を押し止めた。
雨音を聞きながら、明子は掠れた声で尋ねた。

「逃げたって……、なんのことですか?」

寸での所で踏みとどまり、思うように流されてくれない明子に「なかなか手強いな、キミは」と、島野は愉しげに笑う。

「違うのかい? 少なくとも。牧野はそう思っているよ。キミが営業に移ったこと」

告げられた答えに、明子はその目を驚きに見開き、小さく首を振る。

「あれは、会社の……」
「でも、選択権あっただろう」
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