リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
濡れた髪に、タオルを押し当てる。
アパートの前に止められた車から、降りて走ったほんの僅かな距離でも、夜の雨は、明子の髪を冷たく濡らした。


-秘密だよ。


最後のキスのあと。
耳をくすぐるように、悪戯染みた声で囁かれた言葉が、ずっと、明子の胸を高鳴らせている。

夢見心地。

まさに、そんな気分だった。
ぺたりと、冷たい床の上に座り込んでしまう。
ふわふわと、熱に浮かされ舞い上がっているような、そんな感覚に明子は戸惑う。
降りしきる雨に打たれて、体は冷えているのに、明子の中の、一番奥深いところには、明子を溶かす熱の塊があった。


体を這う指先を-
熱い吐息を-
重なった唇を-


思い出すと、いっそう、その熱の塊は明子の体を苛む。


『抱きたいと思っている女だよ』
『心も、体も欲しいと思っている女だよ』
『牧野のことを考えてごらん』


耳に埋め込まれた言葉が集まって、明子の心の中で牧野の形になっていく。

溶けて。
溶けて。
溶けて。

自分が消えてしまいそうなほど、溶けてしまいそうになる。


『お風呂が、沸きました』


無機質なその声に誘われたように、明子はふらりと立ち上がった。


いろんなことが、頭の中で渦を巻き、真っ白になっていく。
もう、なにも考えられなくなった。
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