リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「……、答えたって」
「お前さんの母親、午前中、さんざん上で絞られたのに、それでも懲りなかったらしい。午後になってまた、上に乗り込んだらしいぞ。知らないのか?」

美咲の目が落ち着きをなくして、おどおどと空を泳ぎ始めた。

「そんな……。だって、ママは帰るって。どうして……」
「そんなの、知るか。そんなことで呼びつけられた笹原部長のほうこそ、いい迷惑だろうが。さっき、珍しく、外の喫煙所にいたんで声をかけてみたら、疲れきってたぞ。その上、仕事に戻ったら、坂下たちはいなくなっているしってな。やっと止められそうだったタバコ、また吸っちまったって、ぼやいていたからな」
「ママ、なにしに」
「牧野と話しをする、話しをさせてと、そう言って聞かなかったそうだ。もう、一年近く、娘とお付き合いしているんだから、ちゃんとした挨拶をしてほしい。娘を陥れようとしているあの女をどうにかしてほしい。そんな話しをしたいってな」
「ウソ。だって……、牧野さんとは、勝手にいろいろ、お話しはしないでって。私、ちゃんと頼んだわ。ママ、判ったわって、約束してくれたわ」
「だから、知らんよ、そんなこと。牧野とお嬢さんが付き合っているなんて事実はないと、部長がいくら言っても信じなくて。仕方がないと牧野課長に電話して、取締役が牧野課長から話しを聞いたそうだ。母親じゃ、とても冷静に話しができそうにないからってな。娘からこんな話を聞いたが、本当のところはどうなんだと聞かれて、そんな話は全部嘘だと、はっきり答えたそうだ。ママ、貧血を起こしそうになったらしいぞ」

お家に帰ったら、大変だからな。
そういう小林の口調は、このうえないほど意地が悪く、美咲を哂っているようだった。


-そんな。なんで、そんな勝手なこと。


青ざめた顔を引きつらせて、そんな言葉を搾り出すように言った美咲は、どうして、そんな勝手なことをと泣き怒りしながら駆け出していった。
呆然とした顔で、香里と沙希はその様子をただ見ていたが、ややあってから、沙希が慌ててそのあとを追って行った。
けれど、香里と幸恵は、美咲の後を追うことはなかった。
香里はちらりちらりとなにかを窺うように明子に目を向けて、振り返って見た幸恵は、立ち去った美咲の後姿をまだ見ているように入り口を見つめていた。
けれど、その顔は、美咲のことを案じているような顔ではなかった。
心の奥底で、美咲を嘲笑っているような歪な笑みを浮かべていた。


‐原田も怖い


沼田のあの言葉を、明子はまた思い出した。
明子に喚き散らしているときよりも、はるかに怖いその笑顔に、明子は初めてその言葉を実感した。
そんな明子の視線に気づいた様子の幸恵は、すぐに明子に対する敵愾心を顔に浮かべた。
ふんと鳴らした鼻音が聞こえてきそうな顔でそっぽ向く幸恵に、明子の口からは喉の奥で絡まっていた息が吐いて出た。
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