リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
『でも、だったらなんで食えないんだよ。今、ガツガツ食う時期じゃねえのか?』
「そのはずなんですけど。だから、よく判んないです。今までこの時期に食べたくないなんてこと、なかったんですもん」
『そればっかりは、男の俺にはさっぱり判らねえしなあ』

明子と一緒に途方に暮れているような声を出した牧野は、子どもができて悪阻だって言うならなあ、まだそういうものかあって納得できんだけどなあと、ぼやいた。


(悪阻、かあ)
(そうなんだよねえ)
(かなり軽い悪阻、みたいな感じだよねえ)


牧野の言葉に、明子もうんうんと小さく何度も頷きながら、ふと、以前、営業にいた女性社員のことを唐突に思い出した。
明子より二つか三つ年上の先輩だった。
生理前になると、食欲がなくなり、無理に食べると吐いてしまうこともあるのだと、その先輩は言っていたことがあった。
同じかも、やっぱりアレの前だからかなと、明子は独り言のように呟いた。
その明子の声がよく聞き取れなかった牧野は、なんだと明子に聞き返してきた。

「前に、そういう人がいたなあって」
『そういう人って?』
「始まる前の数日間、悪阻みたい症状が出て食べられなくなって、食べ物の好み自体の変わっちゃう人がいたんですよ。なんか、その人の症状に似てるかもって。無理に食べなきゃ、吐き気とかはないですけど、無理に食べるとムカムカするし、今までなら、甘いものが食べたくてしょうがないはずなのに、なんか、甘いものよりも少し酸味のある物が食べたくて』
『そういうこともあるんだ?』
「この時期って、ホルモンバランスが乱れる時期だから、人によって、いろんな症状がでることがあるんです。鬱とか不眠症みたいな感じになる人もいるし、やたらと食べたくるような人といるし。食べれなくなる人とか、頭痛に悩む人もいるし」

明子の言葉を聞きながら、牧野はなにか思い出したように、あっと短い声をあげた。

『なんか聞いたぞ。前のかみさんから。耳にタコができるくらい聞いたぞ。ピーなんとか』
「PMSですか」
『おぅ。それだ。そういうやつなのか』

男性にして珍しく気の利いたことを言う牧野に、明子は妙に感心しつつも、離れていた数年、牧野は本当に結婚して妻となった女性と暮らしていたんだなあと、その現実を改めて実感し、そして初めて、牧野の前妻の存在が気になった。
そんな明子の思いなど気づいた様子もなく、電話の向こうの牧野はうんざりしたように声で、前のかみさんに、やいやい言われたんだよと吐き出した。
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