リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「ちょっ、牧野さん、やだ」

もう。ひどい。狸のふりしてっ
それを牧野の悪ふざけだと思った明子は、その後頭部をベシベシと叩くようにして抗議したが、牧野は手を離そうとしなかった。

「牧野さんっ もう」

怒りますよという言いかけて、明子はその言葉を飲み込んだ。
泣いているわけではない。
けれど、牧野のその肩は、なにかを堪えるように震えていた。
かすかに耳に届くその息は、必至になにかを堪えようとしているようだった。
ふいに込み上げる愛しさにも似た息苦しさに、明子は牧野の頭を抱きかかえるように抱きしめた。

なにも言わず。
なにも尋ねず。

ただ、牧野を抱きしめ続けた。

「俺な……、実の親に、苛められて育ってきた」

ややあって、明子の胸に顔を埋めたまま、牧野は喋り出した。
少しくぐもって聞きづらい声だったが、言葉を聞き取ることはできた。
君島の言っていた子どもの頃の話しなのだと、すぐに判った。
ロクでもない親と言った牧野の声が、明子の耳に蘇る。
今の両親に引き取られたのは七つのときだと牧野は言った。
幼い牧野がどんな目に遭わされてきたのか、それを想像するだけで、明子は目頭が熱くなってきた。
いっそうの愛しさを込めて、明子は牧野を抱きしめた。

つかの間の沈黙の後。

牧野が顔を上げる気配に、明子は少しだけ手の力を緩めて、牧野を見下ろすように見つめ続けた。
顔を上げ、明子を見上げてきたその顔は、必死に笑おうとしているようだった。
けれど、かすかに震えている唇が、牧野のその胸のうちを明子に伝えてきた。
明子はなにも言わずに、真剣な顔で牧野の言葉を待ち続けた。
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