春の頃に思いだして。
自らも妖魅である女は、禍々しい力を発揮して、勝手に桜が持ち上がった。根っこが土をつかんで、不安定に揺れている。


「なんだ、死体なんかないじゃないの。病院近くだからと、思ったんだけど」

『ご主人ー!』

「あれは……櫛?」


目を凝らして見れば、ツゲの櫛が根っこに絡んでいる。残念ながら、遺骸はないようだ。代わりに紅い光がツゲの櫛に宿り、ゆらゆらと揺らめいて消えた。


「んむう。どれ、一見、なんでもない櫛にしか見えないが……、無機物に擬態するタイプ……いや、それとも違う……何かが違う」

(それにしても、先ほどの光は――禍々しいものではなかった……不思議なことだが)


そのとき、獣の腕から逃れ出た人形が、ぱたぱたと歩きだした。それだけでも異様だが、もっと異様なことに、雑踏を行く人々は、だれも気づかない。女はつと手を伸ばした。


「つまらないことだけれど――」



と、言って……。

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