春の頃に思いだして。
『風琴をやるから弾いてみよ』

「いやよ。手が傷むじゃないの」

『酒でもないのか』


獣が鼻を利かせて、女の細腕に巻きつく、紐の先を示した。


「あわてない。だから、またたびをやるからと、言ったじゃないの」

『だから、効かぬと……良いにおいだな』

「まあね。千年漬けのまたたび酒は、独りで旅するのに欠かせない」

『独りか……そういえば』

「なあにさ、けっこう、イケる口なのん?」

『いや……』


そういって、獣は木立の鳴る方向を、見た。


「わたしはさくら。桜でもサクラでも、チェリーブロッサムでも、どうとでも呼んで」


彼はふっと、目を細めた。


「なんだえ?」

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