絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅱ
 だがその一瞬で次の言葉を考えているんだろうという気がした。
「多分きっと、あの人が日本にいたら、私は追いかけてしまいます。だけど今はロンドンにいて、私には仕事がある。だから、今のうちに忘れるんです。いや、忘れてたんです。だけど前に一度再会して、完全に思い出してしまって……。
 もう一回忘れるのはきっと大変です。だけど、忘れないと、あの人を追いかけても、私とあの人には先が、未来がありません」
「……そうか」 
 意外にも彼女は続ける。
「忘れ方が分かっているから、きっと時間をかければ大丈夫だと思うんです。
 でも、携帯に電話番号がちゃんとメモリーされていて、きっとロンドンに行きたいといえばいつでも来ていいって言ってくれる。
 違うんです。ロンドンに行っても本当に、友人みたいに過ごすだけ。
 そんな関係はすごく苦しい。だけど、会える。
 ……でも、総会で会っても、なんというか、大丈夫になってきたんです。
 だから、今度は大丈夫って感じで忘れられてきたのかな……」
 彼女は一気に喋りながらも、ずっと前を見ている。
「俺が、忘れさせてやれればいいけどな……」
 香月は意外にも笑った。
「ダメです。人に頼っても全然忘れられない」
 廊下の突き当たり、エレベーターが閉まりそうになる直前に宮下は飛び乗った。中に入ってドアを開け、香月を招きいれる。
 その手をとる。
 彼女はさっきと同じように柔らかい。
「……」
 彼女は視線を落としたままで。
「……」
 何も言わない。
 宮下は心配になって覗き込み、その表情を確かめる。
「……大人になれば、違うかもしれません」
「大人?」
 その表情は硬い。
「私がもう少し大人になれば、もうちょっとうまくいくかも」
「……そうだな」
 宮下はその手をゆっくりと離す。
 彼女は何も反応せず、ただエレベーターが到着した音だけが、静かに響いた。
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