時は今
由貴も元々は四季と一緒にピアノを弾いていた。
母親の由真もピアノが好きだったから、家にいてもピアノは普通に聴いていたし、一緒に遊ぶことの多かった四季もピアノを弾くものだから、幼少の頃から相当聴いてきている音ではある。
ピアノを弾くのをやめてしまったのは由真が他界してからだ。四季の部屋で弾くのは抵抗なかったが、家のピアノは由真を思い出してダメだった。
四季は由貴のその変化に何も言わなかった。
「…四季」
「ん?」
「ピアノって何?」
急に問われて、四季は考え込んだ。
「──。ここにいるということ?」
「え?」
「綾川四季がここにいることだと思う。生きていること。楽譜は時を超えるものだけど、僕の音は代わりはきかない」
(自分の音──)
由貴は「それがないのだ」と思う。
人が個で生まれたのは代わりがきかないものであるからと、そこに価値をおくのはわかる。
けれどもあえて自分の音を殺す人、最後まで自分の音がない人もいるだろう。
「……」
四季は由貴の表情を見て「答えはないんだよ」と言った。
「『個』を打ち出すことが必ずしも正解ではないから。たとえば、わかりやすく言うならコール・ド・バレエ。ジゼルで見るような群舞全員が同じポーズで静止しているようなものがあるよね。それは『個』が主張されてはいけない。でもコール・ド・バレエだけで構成されている舞台というのもない」
由貴は四季の言っていることがわかるようなわからないような気分だ。
四季は「由貴はいい子過ぎる」と優しい表情になる。
「何でも出来るのも努力を惜しまないのも『由貴』かもしれないけど、由貴がそうしたいのは何故?そうして目指したい目標は何?」
由貴はこれと言ってわかりやすい弱点がないのだ。
成績も優秀なら運動神経も良く、ほとんど病気らしい病気もしたことがない。
家事をさせてもきちんとこなす。クラス委員を任されてもほとんど拒否することもなく。
「…何だろう」
重い気分になった。鉛を飲んだように。
由貴には四季の方が自分には得られない何かを得ているように見えた。
ダメだ、自分は。
努力なんて、不安を消したいからしているようなもので、たぶん自分の本当にしたい努力ではない気がする。