時は今
それから四季は『春』を第4楽章まで丁寧におさらいした。
日に何時間くらい弾いているのかと訊くと、学校のある時は授業で弾く時間も合わせて五時間以上、休日でも同じくらいは弾いているらしい。
それも、四季は練習でも「軽い」練習というのがない。
思うように弾けない箇所をきめ細かく練習しているのを見ると「響かせたい音」を自分の中で持っているのだ、と思う。
由貴は楽譜に表記されているフォルテやクレッシェンドといった記号から、作曲者が何を意図してこの音にしたいのか、までは考えるが、それを昇華した上で「こう表現したい」という四季のような感覚にはまだなったことがない。
そもそもその感覚になれるまでが厳しいのだ。とりあえず楽譜通りにきちんと弾けるくらいに腕を磨いてなければ、その上にある表現なんて考えているどころではないからだ。
「四季すごい…。また上手くなった?」
練習していなければぐだぐだに聴こえるだけであろう細かな旋律が、くっきりとした優美な音楽になっていることに、由貴は聴き入ってしまう。
四季は「ピアノはいいよ」と言った。
「練習すればした分だけ、すぐに自分の耳で確かめられる。弾きたかった音に近づけると嬉しい」
「──そうだよね」
「由貴もまた本格的に弾いてみる?」
由貴は少し考えた。
「そうだね…。練習はしておく。ブランクがあるから以前弾いてた曲を弾けるようになるのはすぐには無理だけど」
「うん。連弾出来るの楽しみにしておく」
「えー?」
四季の弾く連弾のレベルの曲って、と由貴が抗議する。四季は笑った。
「由貴なら出来るよ。綾川四季の音をいちばんよく知っているのは由貴だから」
「何か上手く言いくるめられてるような…」
「気のせいだよ」