時は今
静和に抱きしめられていると、忍の気持ちは徐々に落ち着いてきた。
(ずっとこのままでいられたらいいのに)
でも、それは、もう。
忍は静和から遠ざけられる前に自ら離れる。
「──私、どれくらい眠っていたの?」
それすらも忍にはわからなくなっていた。
ふと見れば、目の前に広がる景色は桜の咲きほころぶ街並み。3月に見られる景色ではなかった。
「ひと月」
静和は穏やかに答える。
「僕が死んだ日が、3月9日。今日は4月5日。白王高校の入学式があった」
「入学式…。涼は?」
「無事に入学式に出ていたよ」
「…そう」
ここは静かだ。
なだらかな丘陵に木々が生え。桜の木がなくてよかった。もし桜の木があったら、もっと人が多かっただろう。
「…忍、お腹は空いてない?」
静和に言われて、忍は自分の身体が普通の状態ではないことに気づく。
ひと月も何も口にせず眠っていたのなら、もっと衰弱しているのではないか。生きていることの方が不思議である。
「ううん。全然。──私、どうなっているの?」
「たぶん忍は、今は『生きている』人には見えなくなっていると思う。僕が見えているから。だから忍の身体が、今は生きるための『食べ物』を必要としていない。今は食べなくていい時期なんだと思う」
「……。静和が見えなくなったら『食べ物』が必要ということ?」
「或いは。僕を想っている気持ちが忍の命を繋ぎとめている」
それがいいのか、わるいのか。
忍は「静和のヴァイオリン、聴かせて」と言った。
「私にしか見えない桜沢静和の音。私が覚えて行く」