時は今
すこぶる機嫌の悪そうな高遠雛子が教室に入ってくる。
忍たちの方をちらりと一瞥したので、杏もほのかも自然に声が小さくなる。
その噂は雛子には面白くはないだろう。忍と四季の仲が実際にそうだとするとさらに面白くないはずだ。
雛子はそれが聞きたくなかったのか特に絡んでは来なかった。
ほのかがふっと言った。
「みんな大人になっちゃうのね」
「みんなって?」
杏が敢えて訊く。ほのかは「みんなよ」と言った。
「素直になれなくなったり、知っていることが増えたり、我慢したり、そういうもろもろ。純粋に生きているはずなのに、ふと気づくと『子供になりたい』という言葉さえなくなってしまうような感じ」
忍にはほのかが言っていることが、何となくわかるような気がした。
「だから必要な人がいるのよ。そばにいる人を生きやすくなりたいためだけの他人にはしてはいけないけど」
忍は今の自分がこんなふうに四季を愛しているのがとても不思議だった。
一歩間違えれば、男嫌いのまま四季のことも愛せなかったかもしれず、逆に自暴自棄になり、身体だけの関係に溺れる人間になっていたかもしれない。
でも、そのどちらにもならなかったのが、忍には不思議だった。
そういう自分でいるのは自分がもともとそうなりうる人間だったからだろうか。
それとも愛してくれたのが四季だったからか。
愛したかったのか、愛されたかったのか。
四季の愛し方が忍を安心させたのは、四季は自分を殺さないのに、無理に押しつけたりもしない、そんな優しさが四季に見えたからだった。
もし自分がもう一度人を愛せるなら、こんなふうに疲れない疲れさせない愛し方が出来たらいい。
四季に抱かれていて心地良かったのは、四季の心を抱いていて心地良かったからだろう。