時は今
頬を叩かれた丘野樹は、だるそうに雛子の座っていた椅子に座った。
「あーあ、叩かれるの二度め」
ひとりごちる言葉にはわずかに嬉しそうな響きがこもる。
こうでなければ高遠雛子ではないという期待に、気持ちよいくらい答えてくれるのだ。
樹の携帯が鳴る。一応授業中なのだが。
各クラス文化祭の準備中なので携帯でやりとりしていたりもするのである。
名前を見て、樹は「文化祭のことではないな」と直感する。
藍原果林。輝谷音大の1年である。
『今日空いてる?会いたいな』
短い文面の最後に可愛らしくハートの絵文字。
果林は特別というほどの存在でもないが、時々会って話したりする。
べたべた束縛してくるような女ではないから、樹にとっては居心地のいい相手だ。
樹は片手で打ち返す。
『空いてるよ。何時?』
送信。しばらくして、メールが返ってきた。
『講義、休講になった。樹ももう授業終わり?私、これから帰るんだけど、樹のところ行けるよ』
樹は少し考えて、返信した。
『文化祭のことではないなら、別の場所で待ち合わせよう。その方が落ち着く。まだ文化祭の準備しているんだけど、今日は時間通りに終わるから、果林は何処かでゆっくりしてて』
『わかった。一度家に帰ってるね』
果林からの返信を確認して、樹は携帯をしまった。
女といるのは嫌いじゃない。一緒にいて心地いいことは確かであるはずなのに──この埋めようのない心の空虚感があるのは何故だろう?
(高遠雛子の反応の方が、何か面白い)
樹にはよくわからなかった。何故、雛子にあんなことをしたのかも。
雛子は今までに見たことのない悲しそうな表情をしていた。
それで初めて胸が痛んだ。