時は今



(…良心かな)

 胸が痛むのは。それとも。

(高遠雛子に本気で惹かれているとか)

 樹は音楽以外のことに熱くなることはほとんどない。

 生きている人間は雑音が多いが、奏でる音楽というものは言わば「厳選された音の集まり」だ。

 雑音の多い場所に生きているからこそ、選びとられたものは意味を持ってくる。

 ああ、やはりいい、という素材の良さを堪能出来る。

 樹は雑音の多い心の状態を極度に嫌った。

 だから恋愛に本気になることもない。というより、本当の恋愛なんて知らない。

 綾川四季の弾くピアノと自分の弾くピアノが違うのもたぶんに性格が如実に表れているのだろう。

「丘野くん、あまり器用に弾きすぎない方がいいのよ」

 ピアノの先生が言うことには自分の音は「器用すぎる」らしい。

 樹からしてみれば、表記通りに弾いて何が悪いのだ、という感じだったが、確かに同じ曲を弾いても綾川四季は何故か魅力的に弾くのだ。

 樹がノーミスで弾いても、時々不安定な音になる四季の方が、何故か「良かった」と受け入れられていたりする。

(心を込めろと言われてもね)

 これが自分の音なのに。

 樹のピアノに対する悩みは深かった。

 無造作に投げ出された雛子のドレスを樹は拾い上げる。広げてみると、雛子の体型がよくわかるようなつくりだ。

「──ウエスト細…」

 女の身体は謎だ。柔らかくて、抱き心地がいいようなつくりになっている気がする。

 身長も男よりは小さいし。

「身体が小さいとあふれやすいのかな」

 雛子の涙がちらついた。

 小さいのに、思いは大きいから、抱えきれなくなって、こぼれてしまうのだろうか。

 言葉も、感情も、涙も。



     *



< 467 / 601 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop