時は今
美歌が帰宅した時、家の中は澄んだ音楽で満たされていた。
ピアノは四季だとわかる。その傍らで紡がれるのは、ヴァイオリン。
(忍さんだわ)
忍のヴァイオリンを聴くのは初めてだ。上手いということを聞いてはいたが──。
階段を上り、2階のフロアの手すりから1階に抜けるピアノの部屋を覗き込む。
既に先客がいたので、その人のとなりに。
「…パパ」
「お帰り、美歌。──上手いよね」
祈は祈でスケッチブックを手に、それを絵に描いていた。
忍と四季が弾いているのは「白鳥の湖」。
忍は時々四季に「もう一度」と待ったをかけながら弾き直したりしている。
バレエをしている美歌には、チャイコフスキーは馴染みの深い音楽でもある。
「美歌、踊りたくなってきた」
祈は楽しそうに相槌を打つ。
「いいね。四季と忍ちゃんが弾いて、美歌が踊って。お客さんが僕ひとりなのは勿体ない気もするけど」
オデットの振りを思い出しているのか、生き生きとした目で音楽を聴いている美歌に祈は尋ねる。
「美歌は好きな男子はいないの?」
「え?…どうして?」
祈からそう訊かれるとは思ってはいなかったので、美歌は少し戸惑う。
すうっと四季の方を見た。
「──美歌ね、お兄ちゃんに『イタズラして』って言ったことあるの」
祈はまともに美歌を凝視してしまう。
美歌は感傷的な笑みを浮かべると、穏やかに言った。
「でも『ダメだよ』って言われちゃった」
「……」
「…美歌、お兄ちゃんが美歌のこと大事に想っていてくれることはわかるの。でも美歌は時々、お兄ちゃんが美歌のお兄ちゃんじゃなければ良かったのかなって思うこともあるの。お兄ちゃんの妹でいるのは嬉しい時と、つらい時がある。──パパ、美歌って変?」
祈は美歌を見つめると、「変じゃないよ」と答えた。
「──それじゃ、美歌はずっと四季のことが好きだったんだ」
「…うん」
美歌は泣いてはいなかったが、今までに何度か泣いていつしか涙がとまってしまったような表情をしていた。
「こんなに近くに好きな人がいると、他の人をどう好きになっていいのか、もうわからないの」