時は今
「…うん。タッチは柔らかいからいいんじゃない?」
しばらく聞いていて、四季がそう言った。
由貴は手を休め、首を捻る。
「指の練習にはなっていると思うんだけど…。ピシュナ、何となく音に酔わない?」
「ああ、半音ずつ移調するからでしょう?僕も思った。本当は調の展開では次に弾く調が調和音になるような展開だと自然になるんだよね。でもその並びにすると、ピシュナ独特の指使いが練習出来なくなるから、この並びはこの並びで勉強になるとは思うんだけど」
「四季はピシュナ平気?」
「体調良くない時は弾かないようにしてる」
「やっぱり」
由貴は苦笑しながらリトルピシュナの楽譜を閉じて「これは家で練習する」と言った。
「ツェルニー見てもらえる?」
「いいけど。僕、先生?」
「四季くらい弾けると、もう先生じゃないの?前の先生のところはやめたんだよね?」
「うん…。『四季くんくらいになると、もう音大か外国かにでも行かない限り、教えられる先生いないから』って言われて」
「そんなこと言われるのもすごい」
「そうか…。弾けるようになるっていうことは、人に教える立場になっていってしまうってことなんだよね…」
四季は自分の手を見ながら真面目にそんなことを呟いている。
由貴にはわからない領域の悩みだ。
「…四季は謙虚だね」
「え?」
「それだけ弾けてもまだ上があるんだ。四季には」
「それだけって…。僕はそう思ったことないよ」
「だから、四季の中ではまだ『上』があるんだよ」
「ああ…。うん。そうだね」
四季は大事そうに自分の手を組み合わせた。
「弾いて。僕も『先生』の勉強をする」
「『先生』の勉強って」
由貴は笑って、四季からツェルニー30番の楽譜を取ると、譜面台に広げた。