時は今
桜沢涼が教室に姿を見せたのは、午後の授業が始まる10分前だった。
軽いメイクをしている。教師には指摘されない程度の。糸井硝子の新作服の撮影があったのだ。
「おー、おつかれ。涼」
昼食をすませた吉野智が台本を見ながら片手を挙げた。
「…おはよう」
涼は表情乏しく綺麗な人形のように返事をした。
「こんな時間に『おはよう』とか、すっかり仕事に馴染んでませんか?涼さん」
「うん。…こんにちは」
「言い直さなくていいって。お昼、食ったか?」
「…お腹空いてない」
「貧血で倒れてもしらねーぞ」
吉野智は半ば諦めにも似た困り顔になる。
こういう表情の時に、無理に食べさせようとすると気分が悪くなって吐いてしまったりするのだ。
涼は涼で智に心配をかけているのを心苦しく思っていたらしい。
智の顔を見つめて、ふっと優しい表情になった。
「…ありがとう、智。いつも気にかけてくれて」
涼は智の前の席に座る。
新学期に入ってしばらくは名前順の席順だから、授業中は「吉野」の智と「桜沢」の涼の席は離れているのだが、お昼時間はフリーになるので、涼と智はその時は一緒になるのである。
先刻まで姫の話をしていた男子たちは廊下でじゃれあっていたり、机で眠っていたり、別の話題に移っていたり。
吉野智はふっと綾川由貴に目をやる。由貴は本を読んでいて気づいていないようだった。
「涼。…委員長のことなんだけどさ」
「委員長?」
「うん。委員長、お前の兄貴に会ってるんだって」
兄貴、というところで、涼の表情が息を詰めて固くなる。
「…うん」
一拍置いて涼が反応した。智は「なんだ」という表情になる。
「それ、知ってたんだ」
「うん。春休みに委員長学校を見学しに来てて、その時涼を迎えに来たお兄ちゃんに会ったみたいなの」
「…なるほど」
「それがどうかしたの?」
「ん…。お前が兄貴の話すんの平気なら、委員長が話したいことがあるんだってさ」
涼にはやはりまだつらいことであるらしい。
どうして委員長が、という表情になり、ちらりと由貴の方を見たが、視線を戻し俯いた。
「…うん」
「うんって、お前大丈夫か?委員長には、まだ涼はあの時のこと引き摺っているから、あんまりそういう話はって言ったんだけど」