時は今
傘をささなくてもいいくらいの霧のような雨だったが、一応傘を差してふたりは外に出た。
雨は歩いている途中で上がり、辺りはぼうっと薄曇りに白み、ひんやりとした空気。
四季が時々咳をしている。気温の高低が不安定な季節の変わりめはそうなりやすいのだ。
「四季、平気?」
無理させていると良くないので一応訊いてはみるが、四季は問題なさそうに答えた。
「ん?平気。こんなものだよ。この季節は」
丘の上まで登って来て、由貴と四季は一旦立ち止まる。
例の木がある。
『──来てくれたのですか』
足元で声がした。
耳に直接触れてくる声ではない。でも確かに言葉となって聴こえてくる、声。
──するりと灰色の猫が姿を現した。
四季の方はその声を聴くのは初めてだったので、時が止まったように猫を凝視する。
「ほんとだ…。聴こえる」
猫は柔らかく尾を振った。
『あなたにも聴こえるのですか?良かった。僕自身この状況が本当のことなのか、夢なのか、わからなくなることもあるものですから。お久しぶりです。綾川四季さん。桜沢静和です』
四季は桜沢静和だと名乗った猫を見つめ──目の高さが近くなるように、屈み込んだ。
「桜沢静和さん?…夢みたい」
夢みたい、という言葉には、むしろ悲しい現実を目の当たりにしたような複雑さも表れていた。
『──はい。醒める夢ならいいのにとは思います。今でも』
猫はしんとした落ち着きぶりを見せる。
四季は猫に触れてみた。本当に触れる。でも。
「この姿だとヴァイオリンと弓は持てないですよね…」
淋しく呟いた四季に、静和は明るく言った。
『楽器を愛でることを知っている方らしい言い方ですね。そういう方と話せていることを嬉しく思います。──弾けなくなってしまったのは…仕方ありません』