時は今
由貴は母親の声や幼い頃のピアノの音を、四季はずっと自分と寄り添って来たピアノの音を、静和は涼や忍と奏でて来た音色を、忍は何となく孤独に歌っていだけだったものがいつしか恋人と音を奏でるようになっていたことを思い出した。
だが──。
「僕はもう、奏でられないよ」
静かな口調できっぱり言ったのは、静和だった。
「僕は桜沢静和が奏でていた音楽を誰かに担って欲しいとは思わない。忍、君にも。僕がいなくなってしまうことを悲しんでそうするなら、それは僕の色でその人を悲しい色に染めてしまうことになる。忍や涼が僕の音楽を愛してくれたように、僕は忍や涼の音楽が好きだった。それを失って欲しくはない」
忍は言葉や視線を静和と交わすのでもなく、ずっと遠くの方を見ているようだった。
そう言われるかもしれないとうすうす感じていたのだろうか、表情は変わらずに整然としていた。
「そうね。そういう感情が好きな人の重荷になったりしてしまうのが重いものね」
そう言葉にはしたが──。
忍はうっすらと微笑んだ。
「ごめんなさい。見えなくなっていて。でも、私も見えなくなりたかったわけではないの」
自分の「そうなってしまっている」ありのままの現状を、忍は誠実に由貴と四季に話した。
「どうすれば見えるようになるのかも、自分ではわからないの。だから、もう少し待って」
「…そこから降りては来られないの?」
由貴がもう一度尋ねると、忍は怖々と聞き返した。
「あなたたちは変なことはしない?」
「変なことって…」
実直な由貴は、それは人間なら変なこともするだろうと言い返しそうになったが、四季がそれを手で制した。
「しない。大丈夫。怖がらないで」
忍は不安げな表情でいたが、四季のその声に言葉を返した。
「怖がらないで、と言ってくれたのは、由貴?それとも四季?」
「四季です」
「…ありがとう。何処?」
忍は躊躇いがちに四季の声がする方を向き、手を伸ばした。
四季は差しのべられたその手を取る。
──冷たい。
死人のそれの冷たさというよりも凍えてかじかんでいるようなその温度に、四季は驚いた。