三日月の下、君に恋した
 最初に声をかけたのはどっちだったか、もう忘れてしまったけれど、それから何度も日曜の午後にこの場所で会い、他愛ない世間話をするようになった。

 学生時代に絵を描いていたという彼は、最近また描きたくなってスケッチブックを購入したものの、どう描き始めればいいかわからないのだと菜生に語ってくれた。


「まあ、別に急ぐわけでもないから。のんびりやります」

「そうですね」

「あなたは?」と、紳士がたずねた。

「絵を描くことはありますか?」

 菜生は笑って首を振った。

「ないです。子供のころは絵を描くのが大好きでしたけど……今はもう全然。たまに美術館にいって、他人が描いた絵を見るくらいです」

「そうですか。絵は好きですか」

「はい」


 紳士はうれしそうにうなずいていたけれど、菜生の背後に視線を移すと「おやおや」と落胆したように言った。

 菜生が振り向くと、背の高い男性がこちらに向かってまっすぐ歩いてくるのが見えた。
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