弟矢 ―四神剣伝説―
何かがおかしい。


「亡くなった爺さんは何か言ってなかったか? この里について……なんでもいい」


里の連中は正三のことを胡散臭そうに見ている。彼らにとって、正三はいつ鬼に化けるかわからぬ存在だった。


「頼む。私は皆を守りたいのだ」

「そういえば……爺さんが言ってたなぁ。十の頃の記憶だから自信はないが、里の真ん中にこんな寺があったっけなぁって」


それは、正三や乙矢が最初に寝かされていた寺だ。皆が寝泊りしていた宿坊もある。一矢は、祭壇脇の小部屋で寝起きしていた。

皆が集まって話し合う時は、本堂の大広間を使っていたはずだ。しかし、その席に正三が加わることはなかった。


彼は初めて、本堂に足を踏み入れる。

薄暗い、かび臭い宿坊と違い、あちこちに蜘蛛の巣は張っているものの……微量ではあるが、ほのかに甘い白檀(びゃくだん)の香りが漂っていた。

中央の祭壇には蝋燭が灯ったままだ。いずれ里人が灯したものであろうが、祭壇に近づくと、ぐっと白檀香の濃度が高まった。

甘い香りは、まるで女の肌が絡みついてくるかのようだ。

それは、正三の思考を惑わせ集中力を削いで来る。香に意思があるかのように、そのまま回れ右をして本堂から出たくなるような誘惑に駆られる。


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