弟矢 ―四神剣伝説―
彼らの手には、既に抜かれた刀が握られている。


「乙矢殿。私の後ろへ。決して傍から離れぬように、よろしいですか?」

「あ、ああ」
 

普段はそれなりに賑わっている宿場町の目抜き通りが、一転して戦場へと姿を変えた。

誰が何処にいるのか、乙矢にはとても見分けがつかない。

朝靄の中、立ち上がった土埃は、怒声と罵声の渦にさらに舞い上がり、宿場を包み込んでいく。やがてそれは、鉄分を含んだ血の匂いに変化して行った。
 

乙矢の脳裏に、一年前の惨状が浮かんでくる。

連れ去られた姉上を、勇気を振り絞って助けに行ったはずが……彼が目にしたのは大木の枝に吊るされた、変わり果てた姉の姿だった。

取って返した爾志一門の屋敷では、惨劇はあらかた終わり、そこは血の海と化していた。乙矢は、愚かにも殺されに戻ったようなものだ。母上は、そんな息子を庇って斬られた。

その体が、少しずつ冷たくなる様を、乙矢の腕は覚えている。

床に転がった父上の首が、血の匂いと共に、残像となって蘇った。

父上の開かれた両目が乙矢を睨んでいる。一矢さえいれば、何故お前でなく一矢がここにいない。父上はそう言いたかったはずだ。

争いごとは嫌いだ。誰とも戦いたくない。俺の負けでいいから、頼むから、もう勘弁してくれ。何もかも差し出すから、誰も殺さないでくれ。乙矢は、胸の内で叫び続けた。


「乙矢殿っ! 伏せて」


弓月の声にハッと我に返る。

乙矢の耳に矢羽根が風を切る音が届いた。条件反射のように、身を屈めようとした瞬間、弥太吉の背中が目に入る。「チッ!」短く舌打ちし、乙矢は棒立ちのままになった。
 

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