アパートに帰ろう
「おまえ、筋がいいな。あとで誰にも内緒でテント裏に来い。絶対だぞ」



それは、アクロバットの練習をしていたときだった。


ムチを振るって団員たちを脅す団長が、一瞬席をはずしたとき、アクロバットマスターのダディが話し掛けてきたのだ。


その怖い顔に私は脅え、何度もうなずくと言われたとおり、練習後にテント裏にむかった。



「ほら、まずはこれを食え」



ダディが紙袋から出したのは、新鮮そうな野菜と肉がはさまったサンドイッチだった。


私が呆気にとられていると「安心しろ。おまえの為にかっさらってきたんだ。ほら食え」と強引に渡された。



「……おいしい!」
「そうか、よかった」



ダディはローレンス・ラドフォードと名乗った。38才。このサーカス団では高齢だ。


「おまえにオレのもつ技、すべてを教えたい」

「すべて……?」

「あぁ、サーカスの技も、護身術も、語学も、俺が知ることすべてだ。受け継いでくれないか?」


"おまえなら、きっと俺のすべてを受け継げる"


次の日から、彼は私にあらゆることを教え始めた。


人体の仕組みや急所や、格闘技。見たこともない数式や言語。


サーカスの稽古が終わった後のその時間は、疲れきっているはずなのに、不思議と苦痛ではなかった。


その時間を楽しみに、厳しいサーカスの稽古に堪えることができたくらいだ。



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