さらば、ヒャッハー


身も清めていない、場所とて神脈でもない、ましてや祈願者もいないこんなただの山の中で送神の儀が成立することもおかしかったが、祝詞さえほぼ自己流。


締めくくりは良かったにせよ、前半などただの朗唱に過ぎない。神様を送ることなどできやしない、不成立なる儀でしかなかったものの――さて、それを知らない者にはどう思えたか。


藤馬のでたらめさを知るのは渉のみ。秋月か冬月どちらかも、あの祝詞に可笑しさを覚えたかもしれないが、野槌はどうか。


神様ならば知っていようにも、送神の儀に使われる祝詞というのは“喚び出されて還す際に、始めて使われるもの”だ。


先ほどまでここに、妖怪と同格化されるまでいた野槌は一度もあちらに還されることはなく、藤馬の言葉もでたらめとは分からないだろう。そんな知識を持ち合わせてない、始めてのことなのだから。


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