美味しい時間
フロアに一歩足を踏み入れると、痛いほどの視線を感じる。自分で蒔いた種
とはいえ、またも逃げ出したい気分になってしまう。それでもなんとか自分の
部署近くまで行くと、俯き加減で歩いていた顔を上げてみる。そして、少しだけ
目線をずらし課長の席を見てみると、そこに2人の姿はなかった。キョロキョロ
して辺りを見渡していると、主任に声をかけられた。
「急にどうしちゃったの? そんなに難しい仕事だった?」
私と課長の関係を知らない人たちにしてみれば、私は仕事に行き詰まって逃げ
出したように見えただろう。だからと言って本当のことを言うわけにもいかず
照れ笑いをしながら言葉を返した。
「いいえ、自分のミスにイライラしてしまって……。みなさん、お騒がせして
すみませんでした」
そう言って頭を下げると、「大丈夫、気にすんな」とか「手伝おうか?」と
みんなが声をかけてくれた。嘘をついてしまったことへの申し訳ない気持ちと
みんなの優しさに思わず涙がこみ上げてきてしまった。美和先輩がサッとハン
カチを差し出してくれる。
「あ、ありがとうございます。でも私に与えられた仕事ですから、最後まで
ひとりでやります」
泣き顔のまま小さくガッツポーズを見せると、ホッとしたように、みんなが
一斉に笑い出した。もう一度頭を下げてから自分のデスクに戻ろうと振り返
ると、ひとりで戻ってきた課長の姿が目に入る。目が合わないように慌てて
デスクに戻ると、まるで何事もなかったように仕事を進めた。