ひとまわり、それ以上の恋
『Love at first sight』―― 〝彼を一瞬で虜に。一目惚れブラ〟」
 この間、打ち合わせした時のものだ。その走り書きを眺めて、顔をあげた。

「Love at first sight――人はデジャブに恋をする。それが一目惚れの心理である――ってね」

市ヶ谷さんは英語で書かれてあった文面を読み上げる。その内容は『自分の記憶が曖昧であるが、一度会っているはずの相手に、なにかの偶然再会したとき、高確率で……恋に落ちる可能性がある。それは、デジャブが手伝ったもの。つまり恋ではなく錯覚であることが多い――』ということ。

恋ではなく錯覚――。

「君と僕は、拓海さんのお葬式のときに会ってるんだ。それから、エレベーターの前で会ったこともあったね。きっと、潜在的な何かがあったんだと思うよ。そうじゃなきゃ、君が僕のような男を好きになるはずがない」

 本をパタンと閉じて、市ヶ谷さんはそう言い切る。

「それなら私も聞きたいです。市ヶ谷さんが私を秘書に選んだのは、母が恋しかったからですか?」

「いや、それは偶然だよ。君とあの日エレベーターの前で出逢ったのと同じように」

 二度の偶然。市ヶ谷さんと出逢って恋をして、彼の秘書になって……。それを運命だと思ったらいけないの?

「市ヶ谷さんが私を遠ざけるのは、私が好きな人の娘だから……なんですね?」

 でも、それは恋を禁止する理由にはならない。

 市ヶ谷さんは何も言わずに私を見つめる。その先に……ありのままの私が映っていたらいいのに。わざわざあてつけのように、初めての恋は実らない、なんて言ったりしないでよ。なんのための企画なの? 考えた人がそんなことを言っていいの?

「それでも……私は」

 声が震えて、喉の奥が痛い。胸のずっと奥まで痺れてる。
 どうして好きなんだろう。理由を探しても見つからない。だけど、これだけは分かる。錯覚なんかじゃない。
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