女王様のため息


他部署との打ち合わせの帰りのエレベーターで偶然乗り合わせた相模さん。

司を介して、少しずつ親しくなっているとはいえ、会社の顔である有名人との距離の近さには緊張感が伴ってしまう。

軽く頭を下げて挨拶をした私に、相模さんは優しい笑顔を向けてくれた。

そして、ほんの少し声を低くして続いたのは。

『司に振り分けようとしていた現場なんだけど、あいつ受けようかどうしようか保留したままなんだ。
結婚して、通勤に時間がかかるから考えさせて欲しいって言ってるんだけど、真珠さんから受けるように言ってもらえないか?』

そんな言葉をかけられて、私の中に浮かんだのは、驚きではなくて。

『あー、やっぱりそうなんだ』

という納得した思いだった。

特に私を責める風でもない相模さんの言葉には苦笑も含まれていて、司の真意が私との結婚を第一に考えているという事のみだと理解してくれているのはわかったけれど。

それでも、司を評価してくれている相模さんにとっては、どうしても司にその現場を引き受けて欲しい何かがあるに違いなくて。

『司が学ぶべき所がたくさんあると思うし、あいつも本当はやりたいって思ってるはずだ。
……まあ、仕事より嫁さんの方が大切だっていう気持ちは、俺も一緒だからわかるけどな』

穏やかな笑顔には、きっと奥様を思い出して温かくなった気持ちがそのまま表れていて、評判通りの愛妻家だとわかった。

『自分の大切なものを愛してこその建築だから、無理は言えないんだが、あいつにとってのステップになる事には違いないから。
真珠さんからも、引き受けるように言って欲しい。結婚前の忙しい時期に、申し訳ないな』

にっこりと笑ってエレベーターを降りていく相模さんの背中を見つめながら、今まで以上に私の足元が不安定になったような気がした。



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