桜空あかねの裏事情

「………」

「………」


二人きりになって数分。
静かな住宅街から、様々な店が連なっている商店街へと景色は変わり、賑わいが耳に届くようになっていた。
だがその間も会話は一つなく、紅晶は流れる景色をただ眺める。


「綺麗…」


建ち並ぶ店、行き交う人々、道の灯り。
一見何の変哲もないものだが、それらを彩る存在全てが、紅晶の目には新鮮に映った。
もしあかねと出会わなかったら、あのまま則義の元にいたのなら。
この景色を垣間見ることすら一生叶わなかったと思えばなおのことである。


「……」


ふと、ある一店に目が止まる。
飲食店なのだろうか。
ヴィオレットとは一味違った華やかさがあり、自分とさほど変わらない年頃の女性達が、カップを手に取りながら楽しげに話していた。


「あの店は確か、結祈が贔屓にしている喫茶店だな。雑誌にも載っていたが……見た限りでは、若い娘に人気らしい」


先を歩いていたはずのジョエルが、不意に呟く。
内心戸惑いつつも、彼に対して他人に無関心という印象を抱いていた紅晶は、その反応もまた新鮮に思えた。
むしろ無関心どころか、観察眼に優れているのではとさえ感じた。


「君も若い娘だからな。ああいうのが好きだろう」

「それは……どうなのでしょうか。あのような店に行ったことはありませんから」

「ならば今度、お嬢さんでも誘って行ってくるといい。喧しいとは思うが、退屈はしないはずだ」


それだけ言うと、ジョエルは背を向けた。
再び歩き出そうとする瞬間、紅晶は声を掛けた。


「ジョエル様」

「何だ?」

「今日は私の為に、ありがとうございました」

「大したことではない。私はリーデル代理として、当然のことをしたまで。既にオルディネの一員である君を、守るのも仕事の内だ」


仕事。
確かにもっともな言い分ではあるが、紅晶はその言葉に何故か引っ掛かりを覚える。


「感謝するなら、私ではなくお嬢さんの方だ。お嬢さんがいるからこそ、今の君があるのだからな」

「!」


.
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