マスカケ線に願いを



 部屋に入って、寝る準備をしていると携帯が着信を告げた。確認してみると、小夜さんからだった。

「もしもし?」
『もしもし、あ、杏奈ちゃん?』

 受話器越しから、小夜さんの焦ったような声がした。

「どうしかしたんですか?」
『え、うん……あの、今一人?』
「はい」

 私がうなずくと、小夜さんがあからさまにほっとしたように息をついた。

『あの……本当は、私の口から言うべきじゃないと思うんだけど』

 小夜さんは、躊躇うように続ける。

『お昼、蓬弁護士は……打ち合わせに行ってたんだよね?』
「え? あ、はい。そう聞いてますけど」

 それから、しばらく小夜さんの言葉が途切れた。

『……今から言うこと、明日、噂になるかもしれないから、私の口から杏奈ちゃんに伝えておくね』

 それは、大仰な前置きだと思った。

『今日はお昼、太田さん達と一緒だったんだけど、見ちゃったの』
「?」
『蓬弁護士が、女の子と一緒にいたとこ』

 その大げさな言い方に、私は戸惑う。

「その女の人がクライアントじゃなかったんですか?」
『……でも、二人凄く仲良さそうだったし、打ち合わせって雰囲気じゃなかったよ。楽しそうにご飯食べてた』

 私は、ため息をついた。
 女の人と一緒に食事をしていたというユズ。それを小夜さんと一緒にいたという太田先輩に見られたのなら、確かに明日には噂になっているだろう。

「それが本当なら、また噂の標的が私になるんでしょうね」
『杏奈ちゃん……気にするところはそこ?』
「え?」

 言われてる意味が、良くわからなくて聞き返す。

『え、蓬弁護士のこと疑ったりとか、しないの?』

 小夜さんの憚るような声に、私は苦笑した。

「私は、ユズのこと信じてますから」

 このときの私は、はっきりそう言えたんだ。


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