絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
 本当に、外からこちらの姿が見えたのだろうか。香月は附和が出て行った後、数メートル離れた窓を見てみた。こちらから駐車場が見えるので、あちらからもきっと見えるのだろう。
 オレンジジュースは少し減っただけ。
 確かに一人で退屈ではあったが、附和と数分喋ったからといって、心の中の何かが変わったわけでもなんでもなく、また、ただ巽のことを思い出してしまったせいで、溜息は余計深くなる。
 その後結局そのままぼんやり時間を潰して、約束の時間までいた。
 だが、レイジは約束時間を20分過ぎても現れなかった。もちろん電話もした。だが、出なかった。
 芸能人の仕事がどのように管理されているのか知らないが、突然撮影とかが長引くこともあるのだろう。連絡したくてもできない状況なのかもしれない。
 香月は一般人とは違う彼のドタキャンと特に何とも思わず、ため息だけついて店を出た。
 今晩の夕食は家である何かで終わらせよう。
 店員に顔を覚えられたと思われるほど店内にいた香月は、ようやく腰を上げる。
 外に出ると、午後9時半の街は充分起動しており、仕事帰りの自分が霞んで見えた。
 今日は偶然ユーリが同じ時間に同じ方向に仕事に行くというので、乗せて来てもらってしまったので、帰りはつまり、電車しかないのだ。レイジを誘ったのはそこにも意味があったのに、仕方ない。
 無心で歩道を歩く。この時間になると、夜の仕事の人たちの姿がちらほら見え始め、派手な服装の人がところどころに見えた。今から仕事ってどんな気分だろう……いや、きっとどんな気分でもない。朝仕事に行くのとなんら変わらないはず。
 急ぎ足で帰ろうか、と思いついたのと、気づいたのは同時だった。
「夕ちゃん!」
 数メートル前に夕貴の姿を偶然見つけて、自然に声と笑みがこぼれた。
 だがすぐに隣に腕を組んだ女性がいることに気づく。
 一目見て分かる。同伴だ。
 なぜ、妻と疑わないのか、自分でも分からないが、夕貴は明らかに仕事中であった。
 そして彼は、こちらに構いもせず、むしろ無視してすぐ隣を通りすぎる。香月はそれが夕貴の仕事だと理解しているので、ただこちらも知らんふりしたが、隣の女性だけは睨むように凝視していた。
 多分きっと後で電話がかかってくる。
 もちろんそれを確信した自分に優越感を感じながら、携帯電話をマナーモードから音声着信に切り替え、少し笑顔で先を急いだ。
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