朝の吸血鬼(編集中)
まあ、察すれば分かることだが、、、
宮島たか子への女子生徒や女性教師からの支持は著しく低いようで、、、
我がクラスの"騒がしさ"が日に日に肥大化していくのも、その『反・宮島体制』を掲げる女子たちの決起集会がここ最近、我が1ーD教室で行われているからだ。
この情報は決して伝聞ではない。
そんな訳の分からない集会のことごどきで、
わざわざ高い代償(昼食の珈琲牛乳)を中島編集長に払って聞くほど、馬鹿な人間では無いからだ。
集会はいつも決まって放課後に行なわる。
何を隠そう、不運にもクジ引きで"副クラス委員"に選出された俺は、その集会に強制参加しなくてはならないわけだ。
だから、よーく知っていた。
"女子"という生き物は、稚拙でクダらない議論を延々と繰り返しては、とにもかくにも繰り返す。
その光景は非常に奇妙で、議長が問題を提起して、それに対して参加者は激しい批判を述べまくる。
「批判」というよりも「苦情」、
いや、悪口とか罵倒とか、そういったモノに近い。
散々言い散らして気が治ったかと思えば、また振り出しに戻って、激しい罵倒が続く。
誰も賛成派とか反対派とかには分かれるつもりは無く、個々の主義主張には理由付けも経験的な証拠も与えられておらず、
実に"ダメ"なディベートのスタイルだ。
全ての物事は表裏一体だ。
どんなに良いモノだって欠点があり、その逆もまた然りである。
それを補い合って行く方法を皆で考え、解決策と妥協案を必死に導き出すことを『話し合い』と言う。
こんなディベートは、人類が生み出した高尚な儀式に対する愚弄である。
変な言い方をすれば、自分から迷子になろうと頑張って、色々な迷い道を必死に探しているうちに、気付けばその土地の地理に聡くなっているようなものだ。
しかし、人間が15歳を超える齢にもなれば、少しは論理的思考力も付いてくるので、普通は自分たちが陥っている矛盾に気付きそうなものだ。
つまり、
そんな不毛な作業を続けていれば、
逆に"イライラ"が積もり増えるだけだろう。
まあ、こんな事は、
宮島先生への日々の鬱憤を吐き出すことに夢中な彼女達に、決して言えるはずもないのだが、、、。