艶めきの標本箱




膝を大きく折り曲げなければならない藤のローソファに座る彼は、また新しい煙草に火を着けたばかりのようだった。
テーブルには二つのカップ。
どうぞと彼が手のひらで私に合図し、目を細めて小さく微笑った。




猫舌の私は、カップの縁から音がしないように細長い息を吹きかける。
カップの中の琥珀色が映した天井をふるふると揺らした。
コーヒーが苦手な私のために煎れてくれたフレーバーティー。
微かなオレンジの薫り。




大事なことは忘れちゃうくせに…。




小さなことは覚えているのね、と思ったら少し可笑しくなった。




白いカップの縁に、僅かに移る口紅。
ティッシュオフしてもまだカップにつく位の強い色。
幼い顔立ちを隠すためにと、彼に見合う大人になりたくてつけた緋色。
白い陶器の上で曖昧な輪郭をとる下唇の形を、私は親指でそっと消しながら彼に言う。







「ねぇ、今日後輩に聞いた話なんだけど。」







ん?という表情の彼を好きだと感じながら、私は続ける。







「女性はね、毎日口紅をつけて食事をすると、一生で50本の口紅を食べていることになるんですって。」






「それは面白い話だね。」







「でしょ?
そんなに食べたら、お腹の中が紅くなっちゃいそうよね。」







私の言葉に彼が声をあげて笑った。







「あはははは。
でも。
君の場合は少しだけ違っているかもしれないよ。」
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