艶めきの標本箱

大きな水槽の上に架けられたキャットウォーク。
滑らないように飼育員が注意を促しながら、先へと進む。
アシスタントの女性から手渡された容器には、顆粒状の餌。
これから小魚に餌をあげるのだと言う。
片耳のヘッドホンからの指示で、容器から餌を少しずつ落としてみる。
間近のライトで背びれをキラキラと輝かせる魚たちが、一斉に群がる。
その群れは速度を上げていき、その度に銀色の光が水面を揺らした。
私はいつまでもそれを眺めていたくて、もったいぶって少しずつ餌を落とし続けた。
思わず口元に笑みが零れてしまう。
子供のような気持ちで手摺から身を乗り出している私の隣に、あの父親が立っていた。
楽しそうですねと声を掛けられて、思わず恥ずかしくなって俯く。






「子供みたいだ。」






私は、その言葉に耳まで赤くなるのが分かった。
彼はまた私から視線を逸らすことなくにっこりと微笑んだ。
そろそろ移動しますと、右耳のイヤホンが告げた。


次の水槽には、大きな黒い影が緩やかに動くのが見えた。
鮫の水槽だった。
全長3メートルを超えるような巨体は、上から覗くことすら微かな恐怖を覚えさせた。
鮫の生態の説明やら抜け落ちた鮫の歯の実物を見せられて、小さな心の好奇心がかなり刺激されたのだろう。
飼育員さんにかぶりつきの彼女は、すっかり仲良しになったようで父親の側から離れていた。
私は手にした鮫の歯のするどい先端を、そっと手のひらに刺してみて微かな痛みを味わっていた。
ぼんやりしていると、昨夜の事が痛みと共に甦ってきてしまう。
彼の視線を感じて、私は手のひらに当てていた歯を急いでアシスタントの女性へと返した。
子供みたいだ、そう言ったあの瞳を思い浮かべて、どきどきした。
もしかしたら、今の私の心も透けてしまっているのかもしれないと思った。






「ここで今日参加して頂いた皆さんに、特別にお教えしましょう。」






飼育員が皆を水槽の手摺へと集めた。
覗き込んだ水中を過ぎる大きな影に向かって、実はあの鮫は獰猛ではないと説明する。
へぇ…と、小さな声があがる。
でも、と飼育員の話が続く。






「この中に、傷だらけの子がいます。ほら、あそこ。」






飼育員が指差した影を見ようと、皆が見やすい位置に動く。
私は少しだけ身体を倒して水槽を覗き込む。
大きな体に傷だらけの姿を見つけた時、左肩が隣の人と触れた。
すみません、と顔をあげると、彼だった。
どうですか?みつかりましたかと彼がまた笑った。
ええ、あそこにと指を差すと彼もそちらを覗き込んだ。

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