ショコラ SideStory
「マスター? いますか?」
宗司さんの声だ。
「親父なら帰ったわよ。あたしだけ」
「詩子さん?」
とびきり素っ頓狂な声をあげて、宗司さんが厨房へ駈け出してくる。
「どうしたの。こんな遅くまで」
「んー、お仕事の練習。でももう片付けるわ。一緒に帰りましょ」
宗司さんの視界から『結婚』の二文字を隠したくて、必死にクッキーを重ねる。
でも彼は、いつもの人の良さで手伝おうとし始めた。
「いいよ、宗司さん」
「でも一緒にやったほうが早く帰れるよ。それに……」
手のひらが彼の手に包まれる。
驚いて彼を見返すと、少し怒ったような顔があたしを迎える。
「詩子さん、手冷たいよ。顔色も良くないし。俺が片付けるからちょっと座ってなよ」
違うわ。それは体が冷えただけで。
彼は上着を脱いであたしにかけると、自分は調理台に向かう。
途端に湧き上がる黒い気持ちがあたしの中でさざめいていく。
見ないで。
それは彼女からのあなたに向けたメッセージなの。
あたしが上手くかけないから、分からないかもしれないけど、それは。