眠り姫の唇


何か具体的に岩城に言おうと思って来たわけではない。


何かを変えに来た訳でもない。


ただ衝動的に、イライラに任せてこんな所まで来てしまった。


「(…あ、携帯忘れた。)」



とうとう視野いっぱいに広がって来た岩城のアパートに、瑠香はふと冷静になる。



手元には財布のみ。


女にあるまじき装備だ。


かろうじて化粧は落としていないが、自宅でよく着ているTシャツにラフなチノパン。


よくこんな格好で、電車に乗れたなと改めて思う。




一歩踏み出す度に冷静さを取り戻しつつ、だんだん来た事を後悔しだした矢先に、


とうとう岩城の部屋の扉の前に着いてしまった。



「……。」


やはり部屋に人の気配はない。


さっき駐車場をちらりと見たが、岩城の車はなかった。


会社か、外食か。


どちらにせよ、携帯を忘れた瑠香に知るすべはない。



「はぁ…」



ことんと扉に背を付けて、瑠香はその場にしゃがみ込む。



「ほんとに…」


何してんだろ、私…。






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