ワケあり!
 絹が、本当に自由に動けるのは、体育の時だけ。

 だから、何か個人的に動きたい時は、その日が来るまでじっと待たなければならない。

 本当は、この行動は余計なもの。

 分かってはいたが、絹の中で目覚めているものがあった。

 渡部に対する敵対心と、桜の死に対する好奇心。

 正確には、前者が後者の気持ちを引き上げた、と言っていい。

 渡部が絡まなければ、絹はきっと深入りする気はなかっただろう。

 しかし、既に彼女の本当の正体を知る人間がいる。

 その事実が、逆に覚悟をさせてしまったのだ。

 どんな悪人集団であろうとも、もはや怖いものはない、と。

「ひとつ、貸しにしとくわね」

 体操服の委員長が、階段で待っている彼女の方へ戻ってくると、ひとつウィンク。

「ありがとう、委員長…後で埋め合わせするわ」

 その後に、物陰へ現れた存在を見つめながら、委員長をねぎらう。

 彼女は、そのまま雨の渡り廊下を横切って、体育館へと向かっていった。

「はじめまして、森村さん」

 制服のまま、そう絹は挨拶をした。

「何か用ですか?」

 中指で、眼鏡の位置を直す仕草。

 レンズの奥の目は、絹をじっと観察しているようだ。

 しかし、あの渡部に見せた氷の視線ではない。

「ええ…いろいろお話を聞きたくて…長くなりそうです」

 絹は、甘い微笑みは浮かべない。

 それでは、渡部と同じになってしまいそうな気がした。

「僕は、あなたを知りません…お付き合いする必要はないようですが」

 絹の顔ごときでは、釣られる気配はない。

 あの渡部を毎日見ているせいで、美形に対して免疫ができてしまっているのか。

「私、高坂絹と申します…高坂に聞き覚えはありませんか?」

 知らない可能性も高い。

 妾の子同士の交流が、あるとは思えなかったから。

 だが、持っているカードから、切っていくしかできないのだ。

 カードを、全部使っても釣りあがらなければ、絹の負け。

 無言で、森村はじっと絹を見る。

 そして言った。

「君が、新しい渡部の玩具か…」
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