私の好きな人は駐在さん
「で?何かあったの?」
私は、またこの話題を切り出した。
「あのね、大した事じゃないんだけど……」
と、俯きながら、その先を言うのを由紀は、渋った。
「え?なになに??」
私は、一層前のめりになった。
「…私、結婚しようと思う。」
少しの沈黙のあと、驚くほど美しい響きをまといながら、その言葉は発せられた。
私達にしか聞こえないくらい、小さな声で話していたはずなのに、その言葉はこの店中に響き渡ったのではないかとという錯覚に陥るほど、私にとっては衝撃的で、はっきりくっきりと印象を残した。
「けっ…結婚??」
私がやっとのことで発することができた記念すべき第一声。
ちょうど今、ボーイさんが、グラスになみなみと湛えてくれたばかりのきらびやかな白ワインを、くっ、と流し込んだ。
「そっ。結婚。」
何食わぬ顔で由紀は、繰り返した。
「だっ…誰と??」
「やだ!何言ってんの?隆弘さんとに決まってるじゃない!」
驚きと呆れが入り交じったような顔で、私のマヌケな問に答えた。
「はっ!ああ!あの隆弘さんかあ!」
私は、 隆弘さん の顔をうっすらと脳裏に浮かべながら、両手をパン、と合わせた。
隆弘さんーー確か、カメラマンだったはず。
以前、由紀が手がけた雑誌にのせる写真の撮影担当が、隆弘さんで、それで二人は知り合って、付き合いに発展したとか。
一回由紀に、駅前でばったり遭遇した時に、その隆弘さんが一緒にいて、紹介されたこともある。長身で、朗らかな笑顔が印象的な人だった。優しそうな目元と、上品顔立ち、そしてドット柄のシャツがよく似合っていた。
そこまでちゃんと覚えていたし、付き合うときも由紀から相談を受けたこともあったのに……あまりの突然の衝撃告白に、私は、カミナリに打たれたような感覚に陥り、それらの事柄もすっかり頭からこぼれ落ちてしまっていたのだ。
「もう、かおるったら、びっくりするじゃない!」
訝しそうな表情を浮かべながら、口元をふっと緩めて由紀が、笑った。
「ごめん、ごめん。あまりにも由紀が唐突なこと言い出すから…こっちのほうがびっするじゃない!」
こぼれ落ちた記憶のかけらを集めながら、私は、声のトーンをあげて言った。
「フフフ。かおるのその顔が見たかったからさ。」
そういって、私の顔を人差し指でつん、と触れた。
おそらく私は、あまりの急展開に頭がついていけず、呆然としたなんとも締まりのない顔をしていたのだろう。
「でも、由紀、最近めっきりそんな話してこなかったじゃない。」
私は、負けじと素朴な疑問を由紀に投げかけた。
「それは、言うほどのことでもない、と思ったし……かおるがそういう浮いた話をしない限りは、私も控えよう、と思って。」