ビロードの口づけ
 世間知らずと言われれば、世間から隔絶されたクルミには反論できない。
 ジンは今まで色々な貴族の屋敷で現実を見てきたのだろう。

 仕事熱心な父と物静かで優しい母。
 外に出る自由は封じられているけれど、クルミの信じていた穏やかで暖かい家庭が、ジンの言う幻想となって霧のようにかき消えていくような気がした。

 呆然とするクルミを、掴んだ手首を引いて抱き寄せ、ジンが耳元で囁いた。


「愛がなくても身体は快楽を欲するという事、あんたも知っているはずだ」


 背筋にゾクリとあの感覚が蘇る。
 嫌われているジンに触られて、快感を覚えた事は否定しない。
 けれど断じてそれを欲してはいない。

 欲しいのは快楽よりも先に心なのだ。
 心がここにないのに快楽だけ得られても、後に残るのは背徳感と虚しさだけ。

 温かい腕に包まれその温もりに、ジンの心がここにあると勘違いしてしまいそうになる。
 かすかに鼻をくすぐる母の移り香にクルミがハッと我に返った時、再びジンが囁いた。

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