雪月繚乱〜少年博士と醜悪な魔物〜
 だがなにより、そう考える前に身体が動いた。
 そのあとどうすればいいかなど、何も考えていなかった。
 自分の愚かさに気づいた刻には、胸元を掴み上げられ、帝釈天の腕にぶら下がっていた。

「つねより人間のすることには理解が及ばぬと思っておったが……それが刻に役に立つこともあるものじゃの、羅刹天」

 優越感のにじむ帝釈天の微笑が、雪の感情の見えない瞳を見下した。
 それだけで、わずかでも動けば、即月夜の身に起こるであろうことを悟らされる。
 彼は黙したままゆっくりと息を吐いた。

「さて、童子。こうなればもう、おとなしくわたくしに従うが賢明であると思うが……どうじゃ。いますぐその魂を差し出すか、それとも……」

 胸元を掴む手に喉を圧迫され、むせそうになりながらも月夜は声を絞り出した。

「どちらにしろ死ぬのでしょう……ならば、さっさと殺して下さい。……でも、貴女の望むものはここにはない……」

 鍵は天照が持っている。それがなければ、須佐乃袁を解放できない。
 少なくとも、今すぐには。
 月夜はそう確信していた。

「……ああ、そうであった。先刻このようなものを持っていた者がおってな。微かではあるが、残留する気配に覚えがあったので、すぐにわかったぞ」

 そう云って息を吹き掛けた手のひらに、月夜の魂を封じた鍵が現れる。
 月夜は奈落に突き落とされた思いでそれを見ていた。

「まちがいないようじゃの。さあ、どうする。素直に己の魂を解き放ち、その身を生け贄として捧げるならば、苦しまぬようにしてやってもよい…」

 帝釈天は、指先につまんだ鍵を、尖らせた舌で見せつけるようになぶった。
 思わずそれから目を逸らし、唇の裏を噛む。

「……やめろ、帝釈天」

 明らかに不機嫌な声が響いた。


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