エスメラルダ
 エスメラルダは大急ぎで扉に直進し、それを開いた。
「エスメラルダ様……!!」
 侍女は泣いていた。名前は、そうだ、リリアナと言った。レーシアーナが育てた侍女。
「御典医には? 王弟殿下には? 陛下と皇太后様のところには人をやりましたか?」
 リリアナは困ったようにエスメラルダを見詰めた。
「イエルテが手配している筈です。私は、妃殿下に直接エスメラルダ様をお呼びするようにと承りましてございます」
 イエルテと言う名は確かレーシアーナの侍女の中ではリーダー格の侍女だ。
 こくんと頷くと、エスメラルダは王弟夫妻の寝室へと直行した。
 怖いです。神様。
 エスメラルダは心の中で祈る。侍女達が余計な混乱に陥らないように細心の注意を込めて顔に不安を表さないようにする。
 だけれども、エスメラルダの母はお産……正確に言うと流産で亡くなったのだ。
 レーシアーナが出産の時はまだ先だと思って安心していた。
 まだ三月下旬。予定日より少し早い。
 そしてレーシアーナの出産の際にはエスメラルダは部屋の外で待っていれば良いのだと思っていた。ところがレーシアーナは自分を呼んでいるという。
 王弟夫妻の部屋にはいつもの何倍もの侍女がいた。そしてエスメラルダは寝室へと通される。リリアナはまだ処女だと言う事で産屋と化した寝室へと入る事は許されなかった。
 それを言うならエスメラルダも処女である。だが呼んでいるとあらば行かなくてはならない。
 寝室の中は静かだった。
 侍女達は芋づる式に何でも知ってしまうから部屋にいたのは不思議ではない。
 だが、他の人達はどうしたのだろう? 寝室にはレーシアーナしかいなかった。
「……きて、くれたのね、エスメラルダ」
 ぽつぽつとレーシアーナが呟く。
「御典医は、まだ、なの。……夫も、陛下、も、お義母上様も、まだ」
 レーシアーナの額に玉の汗が浮いていた。
 エスメラルダは持っていたハンカチでそれを丁寧に拭き取る。だが、脂汗は次から次へと流れ出してくる。
 どうしたら良いのだろう? ああ、一体どうしたら!?
「ねぇ、ご免な、さい。貴女、生娘なのに。でも、わたくし、怖く……て」
 レーシアーナの途切れ途切れの声は彼女の唇の近くに耳を持っていかないと聞こえなかった。
「何? レーシアーナ、怖いの?」
「だって……お産で死ぬ人、も、いるじゃない。わたくしが死んでしまったら、ああ、赤ちゃんは、どうなるの!?」
 どくん、とエスメラルダの胸は高鳴った。
 レーシアーナには両親の事は話していないのに、自分が丁度それを考えていた瞬間にレーシアーナもそれを考えるだなんて!!
「大丈夫よ、レーシアーナ、大丈夫」
「お願いよ、エスメラルダ。わた……くしが死んだら……それでも、赤ちゃんが生きていたら……」
「大丈夫よ。大丈夫。気弱になっては駄目よ」
 エスメラルダは必死にレーシアーナを元気付けようとする。だが、処女であるエスメラルダにはこういう時どうすればいいか、全く解らない。絞れるくらいハンカチで汗を拭って大丈夫と言う事しか出来ない。
「エスメラルダ、お願い……」
「元気な赤ちゃんを産んだら聞いてあげる」
「エスメラルダ……!!」
 その時、荒々しいノックの音が聞こえた。
 漸く御典医の登場である。看護婦を山ほど引き連れて、そしてエスメラルダに寝室から出て行くようにと美髯の御典医は言い放った。
「エスメラルダ!!」
 レーシアーナが恐怖に引きつれた声を上げる。ハンカチを握っていた手を、レーシアーナは素晴らしいスピードと握力で掴まえた。
「わたくし! 貴女が居ないと! 死んでしまうわ!!」
「ここにいるわ。手を握っていてあげる」
 エスメラルダはそう言うと手をレーシアーナに預けたままベッドの下に腰を下ろした。
「処女が見るものではありませんぞ!? 仮にも貴女様は次代の王妃様なのですから!!」
「てこでも動かないわ。動かしたかったら、レーシアーナごとにして頂戴」
 御典医は溜息を吐くと、もうエスメラルダに構わなかった。そんな暇はなかったのだ。
 御典医はてきぱきと看護婦に指示を出し、自らも処置をする。
 カスラと離れて十時間半後。
 きっかり零時に産声を上げたのは男の子であった。
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