エスメラルダ
◆◆◆
宣戦布告して、兵を招集するのにフランヴェルジュは三日をかけた。
カリナグレイの騎士と兵達だけで充分戦えるという目算はブランシールと出していた。それでもフランヴェルジュは兵の召集を行った。地方の神殿の力も借りて、馬で間に合わぬ地方の者は転移を繰り返し、カリナグレイに集った。
その策は賢いものではないかもしれなかった。即座にファトナムールを攻めるべしという意見も勿論あった。
しかしファトナムールに敗北の原因が不意打ちだなどと言い訳を与えるつもりはフランヴェルジュには全くなかった。
そしてそれは人々に熱狂的に支持されたのである。
一寸したお祭騒ぎは、フランヴェルジュにはむしろ景気よく目に映った。
メルローアの民が戦に反論する事も在りうる事だったが、人々は歓呼の声を持ってこれを迎えたのが、フランヴェルジュには有り難くもあったが、意外であった。
普通は反対が起き、世論が王を批判するものではないのだろうか。
しかしリドアネ王の治世下で起こった戦争も人々は歓呼の声と共に迎えたという母の昔話をフランヴェルジュは思い出した。
メルローア人は好戦的なのかもしれない、と、フランヴェルジュは思う。
フランヴェルジュ自身がそういう気質だからであろうか。
メルローア人は平和に倦んでいた。
そして、ファトナムールを見下していた。
手放しで喜ばれた原因のもう一つに、メルローアという国がここ三百年、戦で増税を課した事がない事もあるかもしれなかった。
そうする必要がないほど、国の予算は潤沢であったのである。
ふっと、フランヴェルジュは溜息を一つ、ついた。
砦の増強はブランシールが手配していたから、フランヴェルジュには憂いなどたった二つしかなかった。
一つは未だブランシールが意識を取り戻さない事。
そしていま一つはエスメラルダに会う暇がなく、三日間という日々が過ぎ、明日出陣という事に相成ったからだった。
「エスメラルダ……」
呟いて、その響きを口の中で転がしてみる。
甘い響きだった。
愛する女の名前なのだ、それは当然である。
今日は日付が変わる前に部屋に戻ってくる事が出来た。
従軍する者は皆今頃、妻や恋人の布団か、娼館の女達の褥の中か、それとも一人で、とにかく眠ろうとしているには違いなかった。
俺は、眠れそうにない。
月を見ながらフランヴェルジュは思った。
満月であった。
『望月』……ブランシールの部屋に飾られていたエスメラルダの絵を思い出す。
兄弟揃って、緋蝶城で飽かずに絵を見て夜を越した……それは恐ろしく遠い日に思える。
初めての恋。
とても情熱的なそれに、ただ、身を委ねていたかったのに、何故このような事になってしまったのであろう。
フランヴェルジュは解っていなかった。
沢山の人間の恋や愛というモノが今の結果を導き出した事を。
ふるっと、フランヴェルジュは肩を抱いた。
まだ、夜は寒い。
まだ四月なのだ。当然といえば当然である。
人恋しい、と、フランヴェルジュは思った。
もしブランシールの身に何事も起きていなければ二人で酒を飲んでいただろうと思う。
その時、微かな音と共に扉がそっと開いて……。
「誰ぞ!?」
厳しい声で誰何すると同時に、フランヴェルジュの手は剣に伸びていた。間をおかず、鞘走りの音が響く。
扉を開けた者が一瞬身をすくませたのが解った。
だが、『彼女』はフランヴェルジュを目指して歩を進める。
小さな人影から、よく知った香りがした。
自分がエスメラルダの為に調香を命じた───。
「エスメラルダ……?」
「はいっ……!!」
フランヴェルジュは剣を投げ出して走った。
窓際から扉までの距離がこんなに長く感じられたのは初めてだった。
エスメラルダも走っていた。
そして、数十秒後、二人はお互いをしかとかき抱いていたのである。