エスメラルダ
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「すまない」
フランヴェルジュはエスメラルダの裸の肩を抱いた。
もうすぐ夜が明ける。
空が白む直前の空が一番闇が深いのだという。その闇の中で、エスメラルダは笑んだ。
闇に慣れた目は、その笑顔を間違いなくとらえ、そしてフランヴェルジュに驚きをもたらす。
「怒って、いないのか?」
「何故、ですか?」
エスメラルダの声に非難は含まれない。
「だって……淑女に、恥をかかせた」
フランヴェルジュのその言葉にエスメラルダはくすくすと笑うと円やかな乳房を逞しい裸の胸に押し付けるようにしがみついた。
「恥、だなどと、思っておりません。きっと、まだ時期ではなかった、それだけです」
結局、二人はその夜はまぐあう事はなかった。出来なかった。
互いに互いを深く深く愛していたのにである。
「俺は、恥ずかしい」
フランヴェルジュは小さな声で言った。
何故抱けなかったのであろう。
心は彼女を欲してやまないというのに。
お互いの衣服を布団代わりに被りながら、フランヴェルジュはエスメラルダの素肌に触れ、その柔らかさに狂おしいほどの感動を覚えたのに。その身体を愛したいと思うと同時にひどく乱暴に扱いたいと切望し、自分だけの色に染めたいとすら思ったのに。
それなのに、抱けなかった。
「きっと、主が待てと仰っているのです」
エスメラルダは言う。
「貴方様が無事にお帰りになるまで待てと仰っているのです」
ああ、と、フランヴェルジュは思った。
そうかもしれない。
きっと、帰ってくるための約束の割符。
……とでも思わなければやっていられない。二十二歳の健康な男子としては。
「わたくし、塔に戻らなくてはなりませんわ」
エスメラルダはそう言いながら、言葉とは裏腹にぴとっとフランヴェルジュの胸に滑らかな頬を押し付ける。
フランヴェルジュも、一時間か二時間は仮眠を取らなくてはならなかった。
しかし、彼は抱き締める腕により一層の力を込める。
離れたくない。
それが二人の想いで。
今身体を離したら、おかしくなってしまうかもしれない。
肉の交わりこそなかったものの、二人の心は一つに重なっていた。
だから、解る。
離れる事は両手両足を千切るような痛みだと。
もし、平時であったならば、それは子供っぽい、恋愛慣れしていない恋人達の戯言と笑いを誘うものであったであろう。
しかし、今日、男は兵を率いて先頭に立ち、隣国に攻め込む。
女はただ待つ事しか出来なくなるのだ。
今更ながらに二人は考えた。
もしも、フランヴェルジュが戦で命を落としたら?
それは鋭い刃物で突き刺されるような恐怖。
帰らなければいけない男にとっても、帰りを待たなければいけない女にとっても、恐怖。
だが、エスメラルダはそっとフランヴェルジュの胸を押した。
「エスメラルダ?」
「……本当はお休みにならねばならない貴重な時間を、潰してしまってご免なさい」
「謝る事などない!」
フランヴェルジュの声は思わず大きくなる。
エスメラルダは笑った。
「充分御元気みたいですわね。それでは、ドレスを着る手伝いをお願いしても宜しいですか? 裸で塔には帰れませんわ」
「あ、ああ」
すっと、エスメラルダはフランヴェルジュの腕から逃れると立ち上がった。
身体にかけてあったドレスが滑り落ち、少女のまだ青い、しかし完璧な輪郭が夜闇に浮かぶ。
ぎこちなく、フランヴェルジュも立ち上がった。コルセットの紐はどうやって結べば良いのだろう?
エスメラルダがなんとかドレスを着、フランヴェルジュも服を身に付けた時、まるでタイミングを見計らったかのように兵が扉を叩いた。
「ブランシール様が、御目覚めに!!」