エスメラルダ
 レーシアーナが宮廷から姿を消し、エスメラルダもそれに従った。
 レーシアーナの妊娠が発表され、静養の為に『ブランシールと共に』王都から南にあるシビルという温泉地の王家の別荘へ引き篭ったのである。親友と共に。
 フランヴェルジュはエスメラルダが旅立つのを止められなかった。何故ならお互い恋を確認して間もなくの出立であったからでもあったし、二人がアユリカナに想いを通じ合わせた事を告げられなかったからでもあった。
 無論、アユリカナは気付かぬほど馬鹿ではない。だが、言い出されないのをこれ幸いにと気付かぬ振りをした。
 フランヴェルジュとエスメラルダが告げられなかったのが、エスメラルダ自身の醜聞の為であるとか、フランヴェルジュの王としての立場であるとかその様な事ではなく、初めて叶った恋に興奮し、溺れ、そして羞恥心を持っていたからであったというのは皮肉としか言いようが無い。
 王と少女ではなく、フランヴェルジュとエスメラルダであったから引き離された。
 しかしこれは致し方ないことであろう。
 エスメラルダの醜聞が完全に掻き消えた訳ではない。そのエスメラルダがレーシアーナのいない宮廷に残ってどうするというのだ? もし、フランヴェルジュと仲睦まじくしていたなら再び醜聞に火がつく事であろう。
 アユリカナはエスメラルダが『審判』を受ける事を望まなかった。あれは経験しなくて済むのなら経験しないほうが良い。
 自然に受け入れられる様にするには未だ土台作りが完全とはいえなかった。
 だからアユリカナは恋人同士が一時的に引き離される事を良しとした。
 それ位の距離で離れてしまう恋心ではないと、アユリカナは見切ったのだ。
「それにしても、退屈だわね、エスメラルダ」
 レーシアーナがもう日頃の挨拶になっているかの如き言葉を繰り返した。
 シビルの温泉に大はしゃぎしたのが昨日の事のように感じられる。
 王都を離れ、二週間が経過していた。
 ブランシールが縛されて四日後に旅立ち、着いたのは五日前である。十日間の旅程だが本来なら一週間もあれば十分に辿り着ける。これは妊婦であるレーシアーナを思いやっての事であった。早馬なら五日か四日といったところであろう。
 ちなみにこの妊婦、レーシアーナだが悪阻もなく、精神不安定になることもなく、逞しくやっている。
 未来の夫の事も一旦腹を決めると、ぐずぐず泣いたりはしなかった。アユリカナの事を完全に信用しているレーシアーナはアユリカナに従っていれば総て安心だといわんばかりだ。
 もしかして、と、エスメラルダは思う。
 レーシアーナって本当は神経が図太いのではないかしら?
 泣いていたかと思うとすぐさま立ち上がる。
 泣かないエスメラルダよりも強靭に思える。
「レーシアーナ、確か貴女、面倒なお茶会も夜会も他の宮廷行事もなくて楽だわと言っていたのではなくて?」
 エスメラルダの言葉にレーシアーナはしぶしぶ頷いた。
「そうだわ。人付き合いやその他から解放されたいとずっと思っていたわ。苛々を噛み殺すのに精一杯で笑っているのが苦痛だった。だけれども、仕事も何も無くて働きづめだった十数年間とは全く違う王女様のような生活をしてみるとね、暇だわ。贅沢病ね」
 エスメラルダは苦笑する。
 毎日届くお見舞いの数々はレーシアーナに見向きもされない。代わりにエスメラルダが返事を書く。
 レーシアーナがそんな侍女の仕事をしなくても良いと言ったのだがエスメラルダは聞かなかった。エスメラルダも退屈だったのだ。
 そしてその夜。
 エスメラルダは嬉しくない知らせを一つ、受け取った。
 それはマイリーテ・ラスカ・ダムバーグが王都を出てこちらに向かっているという事。
 カスラは言った。
「もしお許し頂けるのでしたら、エスメラルダ様。マイリーテ・ラスカ・ダムバーグの馬車は不幸な事故に遭う事でしょう」
「駄目よ!」
 エスメラルダが声を荒げると、カスラは闇に溶けた。
 エスメラルダの胸は早鐘を打ち、頬が紅潮する。
 ブランシールが驚くべき速さで回復しているという報告も、今のエスメラルダの神経を休める手助けにはならなかった。
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