エスメラルダ
第十一章・慈悲と苛烈
 扇の陰で、エスメラルダは溜息を噛み殺した。そんな不快な顔をしていてはならない。
 微笑んでいなくてはならないのだ。ランカスターが教えたように泰然と、恵みを垂れる女王のように。
 何故なら今はパレードの真っ最中だから。
 エスメラルダはパレードの主役ではない。主役はブランシールとレーシアーナである。
 人目を憚るようにして旅立ったエスメラルダとレーシアーナであったが帰り(だという事になっている日)は盛大な祝賀行事が行われる事になっていた。
 パレードは王城に向かってはいない。
 神殿に向かっているのだ。
 穢れを払い落とし、禊をし、そしてようやく王城に向かう。勿論、パレードの再開だ。
 レーシアーナは震えていた。
 寒さゆえではない。
 十数年間を侍女として生きてきたレーシアーナは自分が背負うものの大きさに耐えられるか不安なのだ。ただでさえ身籠っている身であり精神状態、肉体状態共に不安定である。このパレードは強行軍といえるであろう。
 だが、ブランシールが人懐っこく笑いながら手を降る姿にレーシアーナも恐々と手を降る。ブランシールの恥になる訳には行かない。
 だが、あいた片手はきつく、エスメラルダの手を握り締めていた。
 エスメラルダはその手を握り返してやる。
 それしか今のエスメラルダに出来る事はないからだ。自分はあくまで付き添い。
 神殿は白大理石の豪壮な建物であった。
 別名『純潔の白き宮』。
 その神殿は高い壁に覆われていて外からは中をうかがい知ることが出来ない。
 普通の民草達が神殿に用がある時は『宮』という壁の前にある小神殿に向かう。
 神殿は、王族と国の栄を祈るためのもの。メルローアを支えるもの。
 エスメラルダは最初神殿に入る事を頑なに拒んだ。自分は王族ではないからと。
 フランヴェルジュとの婚約もまだ発表されていないし、婚約を確かなものにする為には『審判』を受けねばならないという。
 『審判』は神殿で行われる儀式だ。そこを見ておくようにとアユリカナは言ったのだ。
 わたくしも覚悟を決めなければならないという事ね。
 王族だとか貴族だとか商人だとか、そんな理由でエスメラルダとフランヴェルジュは愛し合ったわけではなかった。
 だけれども、身分というものは一生つきまとう。
 レーシアーナの婚姻が喜びの声を持って迎えられるのは、レーシアーナ自身は絶対に認めたくない事だが彼女の生家が侯爵家であるからだ。
 神殿を覆う壁の扉が開いてエスメラルダ達を招きいれた。
 馬車が進んで行く。すぐに扉の閉じられる音がした。
 その瞬間、エスメラルダは俗世から切り離されたように感じた。
 先程まで五月蝿いくらいに耳を打っていた歓声が、唐突に遠くなる。
 華美ではないが美しい建物があった。
 大理石をふんだんに使った神殿。『純潔の白き宮』。
 車寄せに馬車が止められる。
 ブランシールはレーシアーナが馬車から降りるのを手伝った。そしてエスメラルダの手を取る。
 どきん!
 心臓の音が一つ飛ばしに聞こえたのをエスメラルダは不思議に思う。
 ブランシール様。
 確かに最初は彼に惹かれていた気がする。
 だが今でははっきり解る。
 今は亡きあの人の面影に心惑わされただけだと。
 氷の瞳。銀の髪。
 符牒は全て揃っている。
 だけれども、今のエスメラルダが愛するのはフランヴェルジュだった。彼だけの筈だった。
 馬車から降りて、神官達の礼を受ける。
「お待ち致しておりました。ブランシール様、レーシアーナ様、そしてエスメラルダ様」
 ブランシールは鷹揚に頷き、レーシアーナは頬を染める。
 その時、迎えに来た神官の中でも最高齢の老神官がエスメラルダの掌に口づけた。
 皆の視線が一斉に集る。エスメラルダに。
 老神官は、しかし慌てない。
「皆、お二人を禊の間へとお連れしなさい。エスメラルダ様、貴女様の道案内はわたくしめが務めさせて頂きましょう」
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