スイートなメモリー
奥の座席へ乗込んで、せめて一目だけ三枝君を見ておこうとドアの方を向いたら、三枝君は私の隣へ乗り込もうとしていた。

え? なに? どういうこと? 
さっき「家どこ」って聞いたよね? 
え? ちょっと。なに?
驚いてなにも言えないでいる私を無視して、三枝君は運転手に行き先を告げた。
「道玄坂交番までお願いします」
走り出したタクシーが、駒沢通りへ出た瞬間に、三枝君が大きく息を吐いて私を見てにっこりした。
「よかったー! 電車で帰られたらどうしようかと思ってすっごいどきどきしたんだよね! ああ良かったタクシー乗ってくれて!」
え? どういうこと? 
はなから一緒に乗るつもりだったってこと? 
もしかして私思いっきり三枝君のペースに乗せられてる?
「あの……。さっき、家どこかって聞きましたよね?」
あまりの不可解さについ丁寧に聞いてしまう。
「はい。家どこか知らなかったから聞きましたよ。だけど俺、帰れとも今日はこれでおしまいとも一言も言ってませんけど? ああけど、さっきの芹香さんすごい良かった! もうめちゃくちゃ不安そうな顔してるんだもん!」
わざと不安にさせられたのがわかって、猛烈に腹が立って来た。
「ちょっと! なんなのよ! どうしてそういうことするの!」
三枝君に向き直ったら、彼はひどく真面目な顔で私を見ていた。
「先に不安にさせたのはどっちなの。芹香さんでしょう。俺は真剣なんだけど」
確かに、私は彼の自尊心を傷つけようとしていた。
謝らなくちゃいけない。
けれどタクシーはもう渋谷の駅前を通り過ぎて、道玄坂を昇りつつある。
タクシーが道玄坂交番の前で止まる。
三枝君が料金を払って先に降りた。
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