渇望の鬼、欺く狐
『旭……、旭……』



 抱き上げても、揺すっても、たった今まで耳にしていた声を聞く事は出来ずに。

 自分の手や着物が赤く染まっていく事も構わずに、心臓を失った旭の体を強く抱きしめた。

 ふらつきを覚えながら向かわせた足は、何とか楓の元へと辿り着いて。

 旭と同じく、心臓を失った楓の胸元へと、旭を抱いたままに自分の頭を置いた。

 感触も体温も、全て普段通りの慣れ親しんだ物ばかりなのに。

 楓の目にも、旭の目にも、もう光が見当たらない。

 視界に映る光景を、信じたくはなかった。

 だけど、私の願望の全てを否定するかのように、映る光景は私へと伝えてしまう。

 もう二人には、命が宿ってはいない、と。

 幾筋も流れていく涙が、楓の体を伝い地面へと流れていく。

 その様子を目にしながら。



 もう死のう。



 自分の心には、そんな気持ちが湧き出していた。

 楓も旭も居ないこの世界で生きていく事の意味が、自分の中に見出せなかったのだろうと思う。

 辛さと絶望は、空虚となり。

 その感覚は、自分の命を捨てる事を容易くさせるようだった。

 最後にもう一度二人を強く抱きしめてから、行動に移そうとした、その時。



『……い、……藍』

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