渇望の鬼、欺く狐
 だけど口調を真似たところで、楓との比較は出来なかった。

 それ程までに、思い出は遠ざかってしまっていた。

 どれだけ願おうと、時が味方してくれる事はない。

 二人が居た時間のまま止めたいと願ったところで、時は勝手に刻まれてしまう。

 思い出に靄を纏わせて。

 代わりに、悲しみや辛さを減退させながら。


 鮮明に思い出す事が出来なくなるぐらいなら、悲しみも辛さも持続したままで構わなかった。

 孤独に打ちひしがれて、毎日淋しさと隣り合わせに生きていれば、思い出が霞む進行速度を和らげる事が出来る。

 そう思っていたハズなのに。

 いつからか、社から一切出る事をしなくなっていた私の足は、日に一度は結界内を歩くようになってしまっていた。

 社内から消えていく楓と旭の名残が、私を外に出させたのだろう。

 外に行けば、何か二人に繋がる物が見付かるかもしれない。

 そんな思考を抱いては、何も見付からない事実に落胆を覚える日々。

『ただいま』と零す言葉に、返事はないと知りながら。

 毎回口にしては、遠ざかった声を呼び戻そうと、そんな事を繰り返していた。


 きっと、何だって良かったのだろうと思う。

 些細な事でも、思い出を引き寄せる事が出来るのであれば。


 雪に名前を聞かれて答えた時。



『ほら、お姉さんの髪、凄く綺麗な藍色だから』


『ほら、お前の髪はとても綺麗な藍色だから。この名前が良く似合うだろう?』



 脳裏によぎる楓の声と重なった雪の言葉に、私は錯覚すら起こしてしまっていた。

 楓が囁いてくれたような、そんな錯覚を。

 そして私は、ようやく引き寄せる事の出来た思い出に、喜びを感じて。

 一度覚えた喜びを、また味いたいと、そんな思いに駆られて。

 結果、雪を拒絶しきる事が出来なくなった。
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