君の知らない空


彼は課長に会ったのだろうか、課長と接点があるのか。それとも、美香から何か聞いたのだろうか。


「課長は事故ではないって、どうしてわかるんですか? 白木さんから何か聞いたんですか?」


彼は表情を変えない。
口を挟むのかと思った周さんが、なぜか黙ってる。


「僕が、片付けた」


さらりと彼が言った。聞き漏らしてしまいそうな声だったけど、胸を突き刺すような鋭さと恐怖を感じる。


おもむろに彼が袖をまくし上げ、上腕に貼り付けられたガーゼを見せつけた。


「これは課長がつけた傷。その後、僕を追ってきた車が事故に遭った。わかってもらえた?」


彼はゆっくりと話してくれているのに、まるで不可解な言葉のように頭の中をすり抜けていく。


「肋骨は事故で折ったものだ、納得したか? これ以上は聞いても無駄だからな」


周さんの不機嫌な声さえ、するりと通過していく。


脳裏に映るのは、昨夜の事故でフロント部分の潰れた二台の車と後輪部が大破した赤い自転車。課長のことが浮かばないのは、精一杯の現実逃避か。


長い沈黙の中に、私は置き去りにされていた。


今ここで、二人が私を見ていることさえ、本来ならとても危険な状態なのかもしれない。そんなことも考えられないぐらい思考は停止したまま。


「驚かせて、ごめんね」


テーブルに置かれたカップを呆然と見つめる私に、彼が言った。労わるような優しい声。その声が『片付けた』と言うには相応しくないし、まったく想像もできない。


「うそ……じゃないんですよね」

「嘘じゃない」


恐る恐る尋ねた私に、彼ははっきりと返した。



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